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【「日韓仏教交流について」曹洞宗雲祥寺住職 一戸彰晃氏 センタージャーナル95号】を読んで

戦時中、日本仏教の多くの宗旨・宗派は戦争協力をしてきました。浄土真宗大谷派も同様に様々な1戦争協力をしてきました。
この当時の仏教において戦争協力をしただけでなく、植民地化した地域に布教所を作ったり、寺院を無理やり自宗派内に所属させたりと政治や文化だけでなく宗教までもがその植民地化した国や民に深い影響を与えたということを改めて知りました。

 

その戦争協力の反省から戦後50年には各宗派において声明がなされ、真宗大谷派でも戦後50年の「不戦決議」が発表されました。またこの決議を踏まえ戦後70年となった昨年に「非戦決議2015」が宗会(最高議決機関)において「不戦決議」と同様に採決され発表されました。
この懺悔はただ宗会が発したもので終わらせるのではなく、戦争を知らない私たちが戦争の事実を深く受け止め、忘れることなくこの「誓いと決議」を守り続けていかなくてはならない。

そして当時の教団が戦争へと加担していく中、僧侶として反戦を訴えた※2高木顕明師1竹中彰元師の存在も忘れることなく後世に語り継いでいかなくてはなりません。

一戸氏の文に(センタージャーナル95号より5面より一部抜粋)

《なぜ宗教が必要か》
懺悔するということは非常に難しいことです。「懺悔したら自分が終わってしまう」と思う。懺悔するということは、謝るということです。しかし人間が人間に対して謝ることはできないのです。そこで必要なのが宗教なのです…
私は、妻と喧嘩しても一度も謝ったことがない。色々な理屈をつけて自分を正当化する。その繰り返しです。でも、謝らなければ人間の命は深まらない。
キリスト教でも、イスラム教でも、仏教でも、宗教は懺悔からスタートします。宗教的な絶対者の前に謝ることはできるのです。目の前の人間に「ごめんなさい」と謝ることはできません。もし口に出して言ったとしても、腹の中では別のことを考えている。でも絶対者の前だからこそ謝れる。だから宗教なのです。私はそういう意味で、宗教の素晴らしさというのを感じています。日韓関係も、お釈迦様という絶対的な存在を通じた交流が求められていると思います。


とあるように私たちは人に対して懺悔・謝罪をしているつもりであるが本当に謝罪しきれない存在であります。
昨年末に日韓が協議し「慰安婦」問題について合意に至り共同記者会見を行いましたが、両国お互いの立場や主張・思惑があるため慰安婦問題や強制労働の問題などまだまだ完全には解決されていません。
一戸氏の言われるように国家・国民の枠を超え、宗教を通じた懺悔を通し両国の交流が戦後70年を過ぎた今だからこそ必要になるのではないだろうかと考えさせられました。(広報部門 久田)


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※ 全文は「お東ネット」センタージャーナル掲載ページ内94号5面に載っおります。
   PDFまたは印刷してお読みください。
※1 真宗大谷派の戦争協力の一端と
竹中彰元師の記事が92号6-7面『第26回平和展を終えて 学ぶ場としての「平和展」 著 新野和暢氏』に載っております。
※2 高木顕明師については本山ホームページ内「非戦・平和展」に載っております。

  是非こちらも併せてお読みください。
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